1.例会案内
下記のとおり、12月例会を開催いたします。 みなさまへのご案内が遅くなり誠に申し訳ありません。 今回も、7月、9月、11月の例会に続いて岩波新書「シリーズ中国近現代史」の合評会を行います。とりあげるのは第2巻、『近代国家への模索 1894-1925』。 著者である川島真会員にもご参加いただき、合わせて研究報告もお願いしております。年の瀬も迫り諸事ご多忙かと存じますが、みなさまふるってご参加下さいますようお願いいたします。 なお、今回、会場の都合により通常より30分遅れて開始となります。 ご注意いただきますようお願いいたします。 ■12月例会 日時:12月17日(土) 14時30分~17時30分 会場:神戸大学経済学部中会議室(第三学舎西館一階) 交通:JR六甲道か阪急六甲から、神戸市バス36系統にて「神大正門前」で下車 前半:川島真著『近代国家への模索 1894-1925』合評会(14:30~16:00) 書評報告1(石黒亜維 大阪商業大学) 書評報告2(川井悟 プール学院大学) コメント(川島真) 後半:川島真会員 研究報告(16:10~17:30) 報告タイトル「中華民国外交档案から見る日華断交―椎名訪台と田中・大平訪中―」 報告要旨 台湾では、中華民国档案が部分的に1990年代まで公開されつつあり、日本よりも文書公開が早い。その公開文書には、1972年9月の日華断交関連の文書も含まれている。報告者はその文書を利用して、「中華民国外交档案に見る『別れの外交(日華断交)―椎名悦三郎の訪台を中心に―』」(加茂具樹・飯田将史・神保謙編著『中国 改革開放への転換―「一九七八年」を越えて―』慶應義塾大学出版会、2011年、199-220頁)を公刊した。ここで使用した档案は、服部龍二『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中央公論新社[中公新書]、2011年)でも用いられている。本報告では、これらの公刊物を今一度整理しながら、中華民国外交档案および情報公開請求によって公開された日本側外交文書などに基づいて、日中国交正常化の裏面史とされる日華断交の過程の一部をトレースしたい。この作業は、まさに同時代史的なメディア言説であったり、一部関係者の回想に依拠しがちであった「物語」を再整理する作業でもあった。 この報告では椎名悦三郎の訪台を主に取り上げるが、いくつかの新しい知見が得られた。第一は、椎名訪台に際しての日華間のチャネルとその訪台を認めるための交換条件である。先行研究では国府側との非公式接触者として、松本彧彦の存在が重視されてきた。だが、実際には松本以外にも多くの使節が訪台しており、また外交ルートでも正式な交渉がおこなわれていた。なかでも、国会議員の水野清の役割と、駐台北大使(および代理大使)の動きが重要であった。 また、交換条件についても、外交档案により明確になった。第二は、日華断交に向けての中華民国側の姿勢である。蒋経国への権力移行期にあった中華民国側は日中国交正常化に「断固たる」姿勢を示そうとしていた。だが、1972年8月のうちから善後措置、つまり断交以後の実務関係継続への意思が見られ、協議がおこなわれていた。これが亜東関係協会と交流協会間の実務関係形成へとつながるのである。第三に、日中国交正常化をおこなった田中総理が蒋介石宛に送った電文の内容(日本語)も明らかとなった。
by yukiko_sakaida
| 2011-12-12 13:49
| 月例会・総会案内
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