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シンポジウム「曖昧さの中の日中文化交流とその「蜜月」 」

3 月 12 日(土)
13:45-17:30 シンポジウム 曖昧さの中の日中文化交流とその「蜜月」

趣旨説明 坂井田夕起子会員(愛知大学)
第 1 報告 榎本泰子氏(中央大学)
  シルクロードブームの歴史的意義
第 2 報告 晏妮氏(日本映画大学)
  映画交流の文脈からみる文革後の日中映画の蜜月
第 3 報告 和泉司氏(豊橋技術科学大学)
  日華断交後の邱永漢―日本語作家が語り、描いた「日本の海外」について

 「日中友好二千年」と「不幸な一時期(の戦争)」といった表現は、1972 年の日中国交樹立以来、多くの場面で使われてきた。実際、1972 年以前の「民間」交流の時代は、日本側が思うような「民間」交流ではなく、中国政府が積極的に日本との交流を望み、経済・文化など多方面での演出をした交流であったことは、日中関係史や外交史の多くの研究成果から明らかになっている。
 そのような中国政府と日本の民間側の複雑な交流の基礎があったことで、国交樹立以後の日本と中国の間には、「蜜月」と呼べる時期をもつことができた。日本では NHK の伝説的な番組『シルクロード』の撮影が実現して人気を博し、1980 年代には井上靖原作の映画『敦煌』の中国ロケも行われるなど、日本と中国は新たな文化交流の時代を経験することができた。
 現代の日本の若者には想像もつかない、かつての「日中蜜月」の時期は、戦前に中国と関わりがあった日本の文化人や、戦争への贖罪意識のある企業人たちの利益度を外視した活動の存在が大きかった。ただし、戦争への贖罪意識をもたずに、戦前からの「日華親善」を引きずったまま、「日本文化の源流」として実態のない中国をイメージし、現実の中国を見る視点に欠けた人々も少なくなかった。冷戦という枠組みの中で、日本人が意識せずに済んだ台湾や香港への贖罪意識は、日本で活躍する台湾・香港出身者の存在を複雑なも
のにした。
 他方、中国の側でも、日中の「蜜月」は文化大革命による経済的文化的な遅れを取り戻す努力の一環であり、政府は冷戦時期に処理することができなかった課題を「曖昧」にしたまま、日本との交流を優先する危うさをともなっていた。
では、中国が 21 世紀の経済大国となり、政治的な対立を顕在化させることさえ畏れなくなった中国と日本の文化交流は、どのようになっていくのであろうか。本シンポジウムでは、近年の研究成果にもとづき、日中「蜜月」時代の文化人たちの活動を、「曖昧さ」や矛盾を抱えたものとして振り返り、今後、グローバル化する世界の中でより強くなっていくであろう中国の文化的ヘゲモニーについて考える材料を提供したい。


by yukiko_sakaida | 2022-02-08 23:51 | 月例会・総会案内
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